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台風10号の爪痕、岩泉

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 岩泉がまだまだ大変な状況だということをボランティアに行った友人が教えてくれました。私は何もできておらず、こんなにもまだひどいということも知りませんでした。

メディアで取り上げられる機会もどんどん減っています。

ボランティアもまだまだ足りないようです。

同じ岩手でも遠い岩泉。行きたくてもいけない方もたくさんいらっしゃると思いますが、ぜひこの現状を知っていただきたいと、友人の許可を得て、全文と写真を掲載させていただくことにしました。

「それでも、ここに住む」という現地の人々、文章から複雑な思いまで伝わってきいました。

8月30日に来た台風10号の爪痕、10月3日の状況です。

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2週間以上前、TVニュースで「岩泉 ボランティア不足」と聞いて居ても立ってもいられなくなり、山仕事の先輩方と泊まりがけで泥出しのお手伝いに行きました。
 

その後、稲刈りも終わって1日だけ時間ができたので、昨日日帰りで岩泉に行ってきました。今回は急遽だったので単独でした。

先日のニュースでも、ボランティア要請件数に対して約半分強しか終了していない、とありましたが、どれだけ進んだのでしょうか‥‥。

Iwaizu10_1

 
今回は岩泉の中心地や観光地・龍泉洞よりさらに山奥にある、安家(あっか)の川沿いに居住されてる方の家の、床下に潜っての泥出しでした。

安家といえばアイヌ語で「きれいな水」を意味する、渓流釣りを知る人にとっては聖地と呼べるような、清流沿いの集落が無残な姿になっていました。
 

居住されているので最小限の床板だけ外して、床下に潜って這いつくばって素手か草削りのような道具で泥土を手箕(てみ)にかき集め、人海戦術でのバケツリレーでした。



泥土はほとんど固まってヒビ割れているので集めやすく、元々の床土との境もわかりやすく(むしろ作業性だけ考えたらこれくらい置いておいたほうがよい?)取り出しやすかったのですが、まぁ狭いうえに首をあげたままの姿勢なので後から首筋の筋肉痛が予想されます‥‥(汗)。

平日はボランティアが少ないながらも、特に3.11の時や茨城・宮城での水害、熊本など各地の被災地に赴いて支援活動をしてきた経験豊富な方や、また新潟や南相馬など被災を被った地域から手伝いに来られた方が来たりしていて、頭の下がる思いです。なかにはボランティア自慢ばかりしたり、何かと口出ししたり仕切りたがる面倒な輩もおりますが‥‥。まぁ何はともあれ結果的に作業が少しでも進んで、被災された方の労苦が多少なりとも軽減できていればよいのかと。
 

今回、床下対策に精通した方の話では、床下の泥を取り払っても居着いてしまったカビ等菌類が居住するうえで喉や肺といった健康に悪影響を及ぼすらしく、また壁の中の水分(断熱材入りなら尚更)も取り除く必要があるとのことでした。

まだまだ未着手の家屋も点在しているようで(特に本流に注ぎ込む支流沿いの奥地)、先は読めないもののボランティアセンターも11月末までは(無料バスも運行見込)泥出し作業が続くと見込んでいるようです。

Iwaizu10_2

 

帰りに、前回泥出しのお手伝いした岩泉中心地のお宅を訪ねてみました。

ばあちゃんが一人で住んでいた囲炉裏・釜付きの昔ながらの家は、氾濫した泥水が天井近くまで上がったうえに孫の道具までそのままのような物が沢山溢れていたので、泥出しと物出しはかなり過酷でした。やっとの思いで襖や棚の引戸を開けると、泥水を被った異常に重たい布団、衣類、食器等々…なにもかもが泥まみれ、泥のなかから可燃か不燃ゴミかの仕分けも厳しい状態で、ばあちゃんは「もう全部いらない」と、一見大切なもののようにみえて廃棄するかどうか確認するボランティアに首を振るばかりで、何もかも捨ててしまいたいだろう気持ちに胸が痛みました‥‥。

 
あれから2週間後、ばあちゃんと息子さんが石灰消毒をやっていました。すでに床板はすべて剥がされて泥出しは終わっていましたが、解体するとはいえきちんと消毒しないとご近所迷惑になりかねない、と根太のうえを危なっかしく歩きながら撒いていました。盛岡に暮らす息子さんからの同居の誘いも断って、仮設・災害公営住宅に移り住む覚悟でした。

Iwaizu10_3



初日作業したお宅の漁労長にもお会いでき、休憩スペースの奥にある一階部分の床板剥がしを同級生の大工さんにお願いしていました。 泥出しはこれからで、またボランティアにお願いするそうです。
「孫のいる東京に移り住めば、身銭切らずに楽に生活できるけど、皆さんにここまでやってもらったのに逃げるようじゃ男気に反する」と、一階部分はいずれガレージにして二階で暮らすとのことでした。



また「松茸が異常に取れるときは、冬がひどい」と寒さとの勝負になることを気にしていました。「神様は平等じゃなくて、弱り目に祟り目なんだよ」と嘆いてました…。



日が暮れるなか、初めて下流沿いに車を走らせ、被災の様子を見てきました。報道で再三取り上げられた道の駅・老人ホームらしき辺り(一軒コメリだけ煌々と営業していることに驚き)、収穫前に泥水でなぎ倒された水田地帯…川の流域が広いにもかかわらず、川砂に埋もれたままの車、小屋まで木々に挟まっているおびただしいゴミなど、3.11の時と何ら変わらない山津波そのもののメチャクチャな光景でした。



もう仮設が建ったのか…と思ったらいつの間にか海沿いに着いていて、それは大震災のあとに建てられた仮設住宅でした。

仲間がボランティアに行ったとき、ボランティアのプロの人が『岩手の先達もマスコミも生ぬるいね。もっと大声をあげなきゃ。頼むよ』と言っていたそうです。
ガテン系な泥出し作業だけでなく、洗ったり分別の作業もあるので、年配の方や女性も来ています。

Iwaizu10_4


すでに何かしら支援活動されているかもしれませんが、もしご関心ありましたらとにかく現地を一度みてもらって、どうか半日でも手伝ってほしいと思います。

冬が迫り、道路や水が凍ったり降雪がやってくる前に‥‥。
 
できる支援、声かけよかったらご協力よろしくお願いします。失礼ご容赦くださいm(_ _)m

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